2008/9/16

中村勝宏調理長のサミットでのレポートが文芸春秋にて取り上げられました

●厨房からみた首脳外交
中村勝宏(ザ・ウィンザーホテル洞爺総調理長)


洞爺湖サミットの最終日の朝は、仕掛けていた携帯のアラームで四時半に目覚めた。八時半からG8に中国やブラジルなどの首脳を加えた15名のワーキング・ブレックファーストが、十二時半からは世界銀行総裁や国連事務総長も加わって22名の首脳によるワーキング・ランチが控えていた。
地下の二段ベットの仮眠室からシャワー室に直行し、冷水を浴びながら「ここまで何とかやってこれたが、今日を無事に終わらせねば」と心に誓った。
昨年暮れ、北海道にやってきた。すでに白一色の風景で、夜になると大地が凍てつき、北国はまさに異国の地であった。
本来、料理の本質というものは、その土地に恵まれた食材の特性を活かし、いかに真っ当な料理に仕上げるかにある。そこで、自分自身が北海道の風土を知り、その食材を極められるかが問われる。年が明け、冬が一段と深まりゆくなかで、どこまでそのことが果たせるのか、気持ちは高ぶりのみだった。
二月初旬、白糠の「羊まるごと研究所」の酒井伸吾さんを訪ねた。初対面ながら飼育現場で様々な話を伺っているうちに、この人が育てた仔羊なら間違いないと確信した。晩餐会のメーン料理は北海道が誇る仔羊肉の料理で、と心秘かに決めていたのである。さらに美瑛や倶知安町、地元の農協や漁協の方々を訪ね、素材について有意義な話し合いがもたれた。
そして、サミットでの食のテーマを「北海道の大地と海の恵み」とした。国最大の食糧基地として170パーセントの自給率を誇る北の大地だが、すべてが最高級の食材とは限らない。しかし、広大な風土を背景とした食材は、実に魅力的であった。これらを手にサミットの舞台でどのような料理を表現できるのか、日本中のシェフを代表しているだけに、その責任の重さをひしひしと感じながら試作に取組んだ。
ザ・ウィンザーホテル洞爺は、日本を代表するリゾートホテルとして懸命な努力を重ねているものの、世界的なプロジェクトをカバーできるだけの人材が揃っているわけではない。そこで、サーヴィスを中心に日本ホテル協会を窓口に、人材の派遣を依頼した。調理においてチーム力がいかに重要かは言うまでもない。私が事前にお願いしていた都内一流ホテルの総料理長の方々は、個人的にも親交が厚く人柄や力量も熟知していた。何よりも、本人自らぜひ参加したい、この経験を立派に活かしたい、という強い意志を皆さん持っていた。私の古巣からも選抜チームが駆けつけて、精鋭部隊が集まった。これらのメンバーを送って下さったトップの皆様の決断には頭が下がる。中道博氏率いるラパンフーズの熱心なメンバーを合わせて総勢20名近くのスタッフだった。また私の補佐役として、火中に飛び込んできた大和田幸雄調理長の働きや外務省の武田善憲さんの御尽力にどんなに助けられたことか。 初日の7月7日はアフリカ諸国の首脳が参加したワーキング・ランチで始まった。3日間で三回ワーキング・ランチと一回のディナー、さらに御婦人方の食事会をあわせると、ホテル内で九回の食事の場面があった。開幕前夜はブッシュ米大統領の誕生日ディナーが福田総理夫妻の招きで実施されたが、ここでの料理とバースデーケーキをいたくお喜びいただけたことが大きな弾みとなった。
サミットのテーマは温暖化対策を中心に食糧問題などが取り上げられたが、私自身も一料理人の立場から今日の様々な環境問題にあらゆる食がリンクしていることの重大さを充分に認識しながら、今回の任務に臨んだつもりである。 それぞれに国の立場、事情もあるだろうが、私達はこの地球に生まれてくる子供たちに対する責務として、環境問題や食糧問題から目を逸らすことなく、互いに身近なことから何かを始めなければならない。
サミット直前、社長室に一人呼ばれた。「今日までは紆余曲折があったが、とにかく日本国のために成功させよう」と実に真摯な面持ちで語られ、心が震えた。サミットに私が料理長として来ることが決まってから半年間、NHKがずっとその記録を撮り続けてもいた。そして、最後の料理を無事に出し終えた時には、スタッフ一人一人の手を握り締めた。最後には感極まり、ありがとうの言葉も出なかった。
サミット期間中、一日20時間ひたすら厨房で必死にうごめいていた身として、果たして成功したかどうかは判らない。しかし、多くのスタッフと共に貴重な時間を共有した事実は生涯の誇りである。

文芸春秋・九月特別号
平成二十年九月一日発行 第八十六巻 第十号


現地でご苦労されたスタッフの皆様、大変お疲れさまでした。
是非、この経験を若き料理人の方へ伝えて頂きたいと思います(広報)

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