2008/9/29

野崎洋光氏(分けとく山総料理長)が語る「先輩の背中」

若き料理人への熱きメッセージ(文芸春秋記事)

栄養学校を卒業し、最初の店で半年過ごした後、預けられるようにして入った店で、僕の料理人生は決まりました。昭和48年頃のことです。そこは、「鬼のキクチ」と呼ばれる先輩が実質的に切り盛りする、オープンしたばかりの日本料理店。キクチ先輩は27歳という若さで支配人や社長からも一目置かれるという、それだけの技量と人格を備えた人でした。
店に入った当初の僕は、叱られてばかりいました。前の店では新人とはいえ仕事を任されることもありましたから、ここで料理をさせてもらえないことに苛立って「魚に触りたい」 「包丁を持ちたい」と訴えてばかりいたのです。先輩からはその度に、「お前、片付け終わってるのか!」 「そこ、整理できてないだろう」と怒鳴られる。ついに「仕事しなくていいから邪魔するな」とまで言われる始末です。20歳だった僕には、「俺が、俺が」という気持ちが強くあったし、店によってやり方が違うことさえわかっていませんでした。「やりたいことができないなら、こんな店辞めてやる」そう思うけれど、意地もある。崖っぷちに追い詰められた状況で考えたのは「料理人としての仕事ができないなら、せめて掃除と整理整頓をクタクタになるまでやってみよう。それでダメなら潔く辞めよう」でした。期限も三ヶ月と決めて、翌日から朝7時前には店に入り、調理場の掃除、鍋磨き、冷蔵庫の中の整理を始めました。
すると、三ヶ月もたたないうちに仕事の流れに乗っていけるようになったのです。たとえば、冷蔵庫の在庫がぜんぶ頭に入っていますから、「三つ葉12本あります、昼に6人分のお椀がいけます」なんていう言葉が、スッと出てくる。みんなに重宝がられて、仕事がどんどん舞い込んでくる。次に何が求められているか、先も読めるようになる。俄然、世界が違って見えてきました。考えてみれば調理場なんて、何匹ものオス犬が檻の中に入っているようなものです。それぞれに「俺が一番だ」という気持ちでいる。そんな中で、返事もろくにしないで、自分の要求ばかりつきつけていれば、排除されるのも当然の結果だったのです。
この頃、自分の「応援歌」にしていた歌があります。水前寺清子さんの「神様の恋人」という歌で「君が10時に眠るなら俺は夜明けの2時に寝る 人の倍やれ5倍やれそれで勝負は5分と5分」いつもひとりで歌いながらデッキブラシをかけていました。今でも店の若い子に、「コレだよ」と歌いながらやってみせることがあります。自分でできなかったら、人の倍動いてみろ。体を動かすことで見えてくるものがある。何事も「段取り」なのです。昔、帝国ホテルの料理長だった村上信夫さんに、「チャンスは練ってまて」と言われたことがあります。村上さんは、鍋の中のソースを練る真似をしながらユーモラスに語ってくれましたが、ここに、仕事の真理が詰まっています。逆境はずっと続くわけではないし、いい時代だっていつまで続くかわからない。だけどチャンスは必ずやってくる。だから、いつでも力を発揮できるように準備をきちんとしておきなさいと、教えてくれたのだと思います。仕事は、決して嘘をつきません。やったらやっただけのことが、自分に戻ってくるのです。
キクチ先輩からは、「人の仕事、ちゃんと見てるのか」ということもよく言われました。料理人の世界では、魚をおろすポジションなんて、なかなか回ってこないものです。先へ進みたいと思ったら、人がやっている姿を見て勉強するしかない。それも普通に見ていたのではダメで、包丁を持ったときの足の位置、手首の角度など、細かく観察する。そうやって僕は、一年ちょっとで、ほぼ全ての魚をおろせるようになりました。技術的なことだけでなく、礼儀からコミュニケーションの取り方まで、先輩を見て学んだことは数え切れません。今よりももっと檸猛なオス犬が集まっていた調理場という世界で、先輩は出しゃばることなく、自分の姿勢を見せることで、その場を取り仕切っていました。背中で教えるキクチ先輩のようなタイプは、もう古いと言われるかもしれません。でも、ここでの経験があったからこそ、僕はどの店に行っても、トラブルなく過ごせましたし、人の上に立つ立場になってますます、自分の「背中」を後輩たちに見せられるようにしなければならないという気持ちでいます。
今思えば、僕の修業時代の給料は5万円ぐらいでしたが、困ることはひとつもありませんでした。だいたい、朝から晩まで働き通しだから、お金を使う暇がない。着る者は白衣があるし、店にいれば食事にも困らない。料理人だけでなく、職人の世界というものが、お金を使わなくていいようにできていたのだと思います。だから安い給料でも貯金ができました。日本人の働き方は、元来、こういうものだったのではないでしょうか。
最近は、仕事ばかりで自分の世界がないと嘆く人もいるようですが、仕事の中にだって楽しいことはたくさんあります。そういう意味では、おいしいものをつくって、お客様に来ていただいて、「ごちそうさま」と感謝される僕たち料理人の仕事は、最も贅沢と言えるかもしれません。働けることの喜びは、笑って白いご飯を食べられる喜びです。この単純な幸せを忘れてはいけないと、最近つくづく感じています。

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