2009/12/10

『魯山人の美食手帖』

北大路魯山人著 平野雅章編 角川春樹事務所 640円(税別)


食に対する愛情あふれる美食家、魯山人の記  

 どんなにおいしい料理でも、それを味わう側が感性と舌を持っていなければ、料理人の手間は水泡に帰してしまう。美食家と呼ばれる人たちは、食材の個性を知り、調理の過程に心を配り、料理が持つ伝統性とオリジナリティを嗅ぎ分け、自分の意見を述べられる人だと思う。そして何よりも大切なことは、発する言葉に、食に対する愛があるかどうかだ。いや食だけでなく、食べる環境、テーブル上での会話にも気配りを持っている。
 今日は、明治から昭和にかけて、書画、篆刻、陶芸、漆芸と多方面の芸術で活躍しながら、料理人として「星ヶ岡茶寮」を開店した美食家、北大路魯山人の言葉に耳を傾けたい。
 「個性とはどんなものか。うりのつるになすびはならぬ―ということだ。自分自身のよさを知らないで、ひとをうらやましがることも困る。誰にもよさはあるということ。しかもそれぞれのよさはそれぞれにみな大切ということだ。牛肉が上等でだいこんは安ものだと思ってはいけない。だいこんが、牛肉になりたいと思ってはいけないように、わたしたちは、料理の上に常に値段の高いものがいいのだと思い違いをしないことだ。すきやきの後では、誰だって漬けものがほしくなり、茶漬けが食べたくなるものだ。料理にそのひとの個性というものが表われることも大切であると同時に、その材料のそれぞれの個性を楽しく、美しく生かせねばならないとわたしは思う」(「個性」より)
 1枚の皿の中でどのような構成にするか考える時、“付け合わせ”という観念は存在しないのだと私はある料理人に教えられた。その皿の中のすべてが調和して、食べる人に感動を与えるのだと。組織も同じだろう。仕事の速い人、遅い人がいて、遅い人はいつも怒られているかもしれない。しかし、その人なりのこだわりがあって手が遅いのかもしれない。手が速い人は時にその人を見てみよう。自分が気付かない良さがあるはずだ。もちろん、仕事には一定のスピードが大事だから、遅い人は努力しなくてはならない。さまざまな味わいが溶け合って1つの料理が生まれるように、多様な個性を尊重し合い、補い合う職場には活気がある。

「しようと決心するには一秒とかからない」

 「料理をおいしくこしらえるコツは実行だと思う。(中略)考えることも大切だ。聞くことも大切だ。実行することはもっと大切なことだと私は思う。おいしく料理をつくりたいと思う心と、おいしい料理をつくるということは、似ているが同じではない。わたしたちはしたいと思っても、しようと思うのはなかなかだ。しようと思っても仕上げるまでには時を必要とする。だが、したいと思っている心を、しようと決心するには一秒とかからない。まず希望を持っていただきたい。やってみようという希望を持ったら、やりとげようと決心していただきたい。決心したならば、すみやかに始めていただきたい。むずかしいことはなにもない。やってみない先から、とてもできないと思いあきらめているひとがあまりにも多すぎはしないだろうか」(「料理の第一歩」より)
 先日、コンクールで何度かお会いした方からお手紙をいただいた。「今回はいい結果が出せませんでしたが、今度お会いする時は優勝できるよう頑張っていきたいと思います」と書かれていた。その挑戦を口にすることも大事だし、手紙で伝えるという行為にも感動を覚えた。やるかやらないか。一度きりの人生をチャンスを逃さず、悔いなく生きるコツは、このシンプルな2択に集約されているとも言える。そんなことを魯山人の本は改めて教えてくれる。

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